東京駅の丸の内側に、辰野金吾が設計した長さ335mの赤煉瓦の駅舎が横たわる。その2階と3階が、1915年に開業したホテルである。重要文化財の駅舎の内側で一夜を過ごし、復原されたドームの下を行き交う人々を、客室の窓から見下ろす。
横に長い、335mの宿
丸の内広場に立つと、駅舎は視界に収まりきらない。正面の長さは335m、奥行きは約20mしかない。極端に細長いこの建物の2階と3階に、ホテルの客室が並んでいる。
この姿には経緯がある。中央停車場の設計は、はじめドイツ人技師フランツ・バルツァーが進めた。煉瓦の建物に瓦屋根と唐破風を載せた和洋折衷の案だったが、採用されなかったという。代わって辰野金吾が設計を担い、日露戦争後、鉄道院総裁・後藤新平の求めで3階建ての大きな駅になった。1908年に着工し、1914年12月に開業。翌1915年11月2日、駅舎のなかにホテルが生まれた。
- 1908中央停車場が着工
- 1914東京駅が開業12月
- 1915駅舎のなかにホテルが開業11月2日
- 1945空襲で屋根と内装が焼ける戦後は2階建てに
- 2007保存・復原工事が始まる
- 2012創建時の姿に戻り、ホテルが再開業10月3日
開業時から、駅の上にホテルを重ねる計画だったわけだ。駅舎の2・3階は、南側の約半分がホテルの客室と食堂、北側が鉄道院の事務室だった。旅の起点と終点を同じ屋根の下に置く。これが、駅のなかに泊まれる理由の最初の答えになる。
泊まる人にとって、この細長さは廊下の長さとして現れる。客室の廊下は駅舎に沿ってまっすぐ延び、東京駅や昔のホテルの写真が約100点並ぶ。部屋から朝食へ向かうだけで、駅舎の長い背骨を歩くことになる。窓の外には、片側に丸の内の街、反対側に線路が続く。
煉瓦の壁を、免震で守る
外壁の赤は、構造の煉瓦ではない。構造用の煉瓦は「下駄歯積み」で積まれている。表面を凹凸の歯形に残す積み方で、そこに厚さ15mmと45mmの化粧煉瓦を交互にはめ込み、剥がれにくくしている。化粧煉瓦は品川白煉瓦が製造した。腰や窓台には花崗岩を使い、柱形の一部は花崗岩の粉を混ぜた擬石で仕上げている。赤い煉瓦に白い帯が走る外観は、「辰野式」と呼ばれる辰野の作風を代表する。
骨組みは、鉄骨と煉瓦の壁を組み合わせた鉄骨煉瓦造だ。1923年の関東大震災では、駅舎に目立った被害はなかった。しかし1945年5月の空襲で屋根と内装が焼け、戦後の修復で3階を失い、2階建てとなる。その姿のまま60年以上が過ぎた。
2007年に始まった保存・復原工事の要は、免震である。免震は、建物と地盤のあいだに揺れを吸収する層を設け、地震の力を建物に伝えにくくする工法だ。在来の補強では内壁の約5割に手を加える必要があったが、免震なら補強はほとんど要らない。そう試算され、免震が選ばれた。地上の駅舎を仮の杭で支えながら地下を掘り、352基の免震装置と158基のオイルダンパーを据えている。
煉瓦の壁を削らずに済むことが、保存の質を決めた。
火災を受けた鉄骨は強度試験と成分分析を行い、影響が小さいものを再び使った。失われた3階は、耐震性と保守のしやすさから鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造で加えている。屋根の天然スレートには、東日本大震災の津波に耐えた国産品を、ドームと中央部の目立つ位置に葺いた。
費用の面では、駅舎の上空で使われていない容積を周辺のビルへ移す「特例容積率適用区域制度」が、保存を支える鍵になった。100年前の煉瓦の内側で現代のホテルが営業できるのは、構造と制度の両方の工夫による。
ドームの内側で迎える朝
南北のドームは、内側の装飾まで創建時の写真と図面から復原された。天井の八つの隅には、翼を広げると幅約2.1mになる鷲のレリーフがある。壁の隅には十二支のうち八支が、それぞれの方位に合わせて配置された。東西南北にあたる子・卯・午・酉の四支は描かれていない。天井の中心飾りの周りには、クレマチスの花飾りが各ドームに16ずつ並ぶ。
辰野は「装飾は日本趣味でやるように」と述べていたという。西洋の様式でつくられた駅舎の内側に、干支や兜といった日本のモチーフが潜んでいる。壁の色は、当時の文献にある「黄卵色の漆喰」という記述と、モノクロ写真を検証して決めた。
ホテルには、このドームに沿って並ぶ「ドームサイド」と呼ばれる客室がある。ドームの内側を見下ろせる位置にあり、改札を行き交う人々が下に見えるという。客室の天井高は2階で約3.7m、3階で約3m、ドームサイドでは約4mある。
泊まるなら、始発前の静かな時間と、通勤の流れが始まる朝の両方を見比べてほしい。人の数で、同じドームの響き方が変わるはずだ。夜にはドームの照明に照らされたレリーフと、昼の自然光で見えるそれとで、陰影の出方が違うかも確かめたい。
駅舎中央の最上階には、屋根裏の大空間を使ったゲストラウンジ「アトリウム」がある。天井高は最大9m、広さは400㎡を超え、天窓から自然光が入る。改修前は屋根裏だった場所で、いまは宿泊客専用の朝食ラウンジとして使われ、日帰りの見学では入れない。屋根の形がそのまま天井になったこの空間は、駅舎の断面を内側から体験できる数少ない場所だ。
辰野金吾の、もう一つの宿
辰野金吾は、明治政府が招いた英国人建築家ジョサイア・コンドルに学んだ、日本人建築家の第一世代である。日本銀行本店も辰野の設計だ。東京駅丸の内駅舎は、その晩年を代表する作品になった。
辰野には、泊まれる建築がもう一つある。1909年に開業した奈良ホテルの本館で、こちらは瓦屋根を載せた和風の外観を持つ。赤煉瓦の東京駅と、檜造りの奈良ホテル。同じ建築家が、都市の玄関と古都の丘で、まったく違う顔の宿をつくった。二つを泊まり比べると、辰野が場所ごとに何を優先したかが見えてくる。
ここで見る、三つのこと
- 13階「アーカイブバルコニー」ドームの鷲と干支のレリーフを、館内で最も間近に見られる場所。夜の照明と昼の光で、陰影の違いを比べる。
- 24階 ゲストラウンジ「アトリウム」屋根裏だった天井高9mの空間に、天窓から朝の光が入る。屋根の形がそのまま天井になっている。
- 3客室の廊下335mの駅舎に沿ってまっすぐ延びる廊下と、約100点の写真。端から端まで歩き、建物の長さを体で測る。
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辰野金吾(東日本旅客鉄道 プレスリリース、2011年での紹介)



