明治の日本は、煉瓦で近代の街をつくろうとした。しかし地震の国で、積み上げただけの煉瓦は弱い。その壁の中に鉄骨を組み込んだのが鉄骨煉瓦造だ。東京駅丸の内駅舎を例に、煉瓦の積み方、赤い化粧煉瓦の仕掛け、そして関東大震災が分けた明暗を読む。
煉瓦を積むだけでは、足りなかった
石や煉瓦の塊を積み上げ、その壁で建物を支える方式を「組積造」という。ヨーロッパの古い街並みの多くはこれでできている。しかし組積造は、一般に地震には不利な構造とされる。積み上げた塊は、上からの重さには強いが、横から揺さぶられると目地からずれ、崩れやすい。
そこで、煉瓦の壁の中に鉄骨を組み込み、床も鉄骨で組む方法がとられた。それが「鉄骨煉瓦造」だ。東京駅丸の内駅舎の構造は、記録では鉄骨を内蔵した煉瓦壁と、鉄骨で組んだ床からなる。創建時の鉄骨は、石川島造船所が製作し、組み立てた。
積み方で、壁の表情が変わる
煉瓦の壁は、積み方によって模様が変わる。煉瓦の細長い面を「長手」、短い面を「小口」という。長手だけの段と小口だけの段を一段ずつ交互に重ねるのが「イギリス積み」。一つの段の中で長手と小口を交互に並べるのが「フランス積み(フランドル積み)」だ。
日本で煉瓦建築がつくられ始めたころはフランス積みが一般的で、のちにイギリス積みに切り替わっていった。横浜赤レンガ倉庫は、イギリス積みの変形で、角の部分だけが異なる「オランダ積み」で積まれている。壁を見るときは、一段ごとに小口が並ぶか、一段の中に小口が混ざるかを確かめてみるとよい。
赤い面は、構造ではない
東京駅の赤い外壁は、建物を支える煉瓦そのものではない。構造用の煉瓦は、表面に歯のような凹凸をつける「下駄歯積み」で積まれ、その凹凸に、厚さ15mmと45mmの化粧煉瓦を交互にかみ合わせて貼っている。厚さの違う煉瓦が交互に食い込むことで、外装がはがれ落ちにくくなる。
2012年の保存・復原では、戦災で失われた3階のために、新たに約40万枚の化粧煉瓦がつくられた。色や形を合わせるための試作見本は15,000枚を超え、製造した化粧煉瓦のうち検査に合格したのは約4割にすぎなかったという。目地も、創建時と同じ、断面が丸くふくらんだ「覆輪目地」で再現された。
赤い壁は、構造の上に重ねた一枚の衣装だ。ただし、その衣装は簡単には脱げないように縫い付けられている。
明治の建築家と、煉瓦の工場
日本の近代建築は、1877年に来日したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルから始まる。工部大学校で建築を教えたコンドルのもとで、1879年に第1回生として首席で卒業したのが辰野金吾だ。辰野は1884年にコンドルの後任の教授となり、日本銀行本店や中央停車場(東京駅)を設計した。
大量の煉瓦を支えたのが、埼玉県深谷の日本煉瓦製造である。渋沢栄一らが1887年に会社の設立を願い出て、翌年にはホフマン輪窯で煉瓦を焼き始めた。現存する6号窯は1907年に完成し、長さ56.5m、月に約65万個を焼いた。ここの煉瓦は、東京駅や旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)に使われている。
- 1877コンドルが来日
- 1879辰野金吾、工部大学校を首席で卒業
- 1888日本煉瓦製造(深谷)がホフマン輪窯に火を入れる
- 1908東京駅丸の内駅舎が着工3月25日
- 1914東京駅が開業12月20日
- 1923関東大震災。丸の内駅舎は大きな被害を免れる
- 1945空襲で3階と屋根を焼失
- 2003重要文化財に指定
- 2012保存・復原が完成10月1日
関東大震災が分けたもの
1923年9月の関東大震災で、東京や横浜の煉瓦造・石造の建物は大きな被害を受けた。浅草の凌雲閣(浅草十二階)は8階から上が折れる形で大破し、のちに爆破して解体された。横浜では、官公庁やホテルなど石造・煉瓦造の多くの建物が倒壊した。
その中で、丸の内駅舎は周辺に大きな被害が出たにもかかわらず、目立った被害を受けなかった。煉瓦の壁に組み込まれた鉄骨が、地震の国で煉瓦を使うための答えになっていたとも言える。
それでも、震災のあと煉瓦造は急速に姿を消していく。1924年には市街地建築物法の施行規則が改められ、建物の耐震の計算が求められるようになった。主役は鉄骨造や鉄筋コンクリート造に移り、日本の煉瓦造の時代は、わずか50年ほどで幕を閉じた。
見に行ける、泊まれる煉瓦建築
- 東京駅丸の内駅舎(1914年):鉄骨煉瓦造。2012年に免震化。駅舎の中の東京ステーションホテルに泊まれる。
- 大阪市中央公会堂(1918年):鉄骨煉瓦造。原案は岡田信一郎、実施設計は辰野金吾・片岡安。2002年に保存・再生工事で免震化。
- 横浜赤レンガ倉庫(1911年・1913年):煉瓦造に鉄を組み合わせた倉庫。2号倉庫だけで約318万個の煉瓦が使われた。
- 日本銀行本店本館(1896年):辰野金吾の設計。石の外装の内側を煉瓦で組んだ建物。
- 三菱一号館美術館(2009年復元):コンドル設計の1894年の建物を、免震構造の煉瓦組積造で復元した。
泊まって、煉瓦を見る
東京ステーションホテルに泊まったら、外に出て、駅舎の壁に近づいてみてほしい。赤い化粧煉瓦の並び、ふくらんだ覆輪目地、白い石の帯。夕方の斜めの光の中では、目地の陰影がいちばん深くなる。戦後の2階建ての時代を経て、3階の新しい煉瓦と、1階・2階の創建時の煉瓦が並んでいる。その色の違いを探すのも、泊まる人の楽しみだ。
この技法が見られるホテル
- 東京ステーションホテル(東京・1915年・辰野金吾):鉄骨煉瓦造の丸の内駅舎の中に泊まる
参考にした資料
- 世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典「組積式構造」(コトバンク)
- BELCA賞 受賞資料(東京駅丸の内駅舎)/日本建設機械施工協会誌(2007年10月・2009年12月)
- 日本建設業連合会『ACe建設業界』2020年3月号/JR東日本テクニカルレビュー No.52・No.44
- 横浜市「赤レンガ倉庫の煉瓦」「歴史的建造物」/舞鶴市 赤れんが資料
- 国立国会図書館「近代日本の建築」/深谷市「日本煉瓦製造 見学のしおり」/埼玉県「渋沢栄一ゆかりの地」
- 内閣府 防災情報「関東大震災」/大阪市中央公会堂 公式サイト/中央区「日本銀行本店本館」/三菱一号館美術館 公式サイト


