数寄屋造は、茶室の考え方を住まいに持ち込んだ建築だ。角を立てない柱、省かれた長押、決まりにとらわれない床の間。格式の高い書院造と比べると、数寄屋が何を「しない」ことで軽やかさを生んだのかが見えてくる。桂離宮から、近代の数寄屋、そして佳水園まで。
茶の湯から生まれた住まい
「数寄」は、室町時代の中ごろに侘び茶を指す言葉として使われるようになった。茶の湯をする場所が「数寄屋」と呼ばれ、江戸時代には、その手法を取り入れた住宅や料亭にまで意味が広がっていく。数寄屋造とは、茶室建築の手法を取り入れた住宅の様式のことだ。
源流にあるのは、千利休が育てた草庵風の茶室である。京都・大山崎の妙喜庵にある国宝「待庵」は、わずか2畳の茶室に、次の間と勝手がそれぞれ1畳つく。作者は利休と伝わるが確証はなく、建てられた年にも諸説がある。小さな空間に、土壁や丸太、下地窓といった素朴な材料と工夫が凝縮されている。
書院造と比べると、見えてくる
数寄屋を理解する近道は、格式の高い「書院造」と並べてみることだ。書院造は武家や寺院の正式な住まいの形で、角柱に長押を回し、床の間・違い棚・付書院を決まった型に配置する。数寄屋は、その決まりを一つずつほどいていく。
いちばんわかりやすい違いは、柱の角だ。数寄屋では、角材を使う代わりに、隅に丸太の肌を残した「面皮柱」を使う。四面を削って磨きながら、角だけは木の自然な丸みのまま残す。角を立てないことで、部屋全体の緊張がほどける。
長押は、もともと柱をつなぐ構造材だった。14世紀以降に「貫」が普及して構造の役割が弱まると、装飾として残った。数寄屋はその長押を省く。壁の上のほうがすっきりして、視線は自然と低く、床や庭のほうへ向かう。
「数寄屋は色を付けない」と言われることもあるが、木部に色付けを施すこともあると記す事典もある。自然の材料の肌を生かすことが多い、と理解しておくのが安全だ。
数寄屋を読むための言葉
- 面皮柱:主に杉や檜。四面を削り磨き、角に皮や自然な肌を残した柱。
- 床柱:床の間の脇に立ち、床の幅を決める柱。草庵風の茶室では松や桑、杉や栗、竹の丸太なども使う。
- 落掛:床の間の上部に、床框と平行に渡す横材。茶室では細身の杉や赤松、桐などを使う。
- 下地窓:土壁を塗り残し、下地の竹や葦の格子を見せた窓。農家の窓の技法を利休が茶室に取り入れた。
- 網代天井:杉や檜の板、杉皮、竹などを薄く削いで編み、張った天井。
- 竿縁天井:天井板を一方向に張り、直交方向に竿縁をおおむね30〜40cmの間隔で渡した天井。
桂離宮:雁行する書院
数寄屋の代表として、必ず名前が挙がるのが京都の桂離宮だ。八条宮智仁親王が創建し、子の智忠親王が増築した。1615年ごろに造営が始まり、1663年ごろには後水尾上皇を迎えるために新御殿がつくられた。
書院群は、東から古書院・中書院・楽器の間・新御殿の順に、斜めにずれながら連なっている。雁の群れが飛ぶ姿にたとえて「雁行」と呼ばれる配置だ。古書院では杉の面皮柱を使い、長押を打たない。建物を一つの大きな塊にせず、庭に向かって少しずつずらすことで、どの部屋からも庭が見える。ブルーノ・タウトの絶賛によって、この離宮は世界に知られるようになった。
建物をずらすのは、庭をすべての部屋に配るためでもある。
屋根を低く、薄く
数寄屋の屋根は、多くが入母屋や切妻の形をとる。入母屋は、上が切妻、下が四方に流れる寄棟という組み合わせの屋根だ。数寄屋では、これを低く抑え、軒先を薄く見せる工夫が重ねられてきた。
屋根の傾きは「寸勾配」で表す。水平に10進むあいだに、いくつ上がるかを寸で示すもので、4寸勾配なら10進んで4上がる。瓦の屋根はある程度の傾きが必要とされるが、銅板などの金属の屋根は、ゆるい傾きでも雨を流せる。数寄屋に銅板葺きが多いのは、低く薄い屋根をつくりやすいからでもある。
図の太線は4寸勾配。破線は比較のための2寸と6寸。
近代の数寄屋
数寄屋の考え方は、近代の建築家に受け継がれた。吉田五十八(1894〜1974)は、柱を壁の中に隠す大壁造りや、荒く組んだ障子、新しい素材を取り入れて「新興数寄屋」と呼ばれる独自の様式を生んだ。
村野藤吾は、1959年に京都・蹴上の都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)に別館「佳水園」を設計した。銅板で葺いた薄い屋根を鉄骨で支え、入母屋の屋根を幾重にも重ねている。2020年の改修で客室を監修した中村拓志は、その特徴を「幾重もの庇による浮遊感」と表現した。
ホテルオークラ東京の本館(1962年)では、谷口吉郎が日本の意匠をロビーに取り込んだ。2019年に開業した「The Okura Tokyo」では、息子の谷口吉生がそのロビーを復元している。切子玉をモチーフにした「オークラ・ランターン」や、梅の花に見立てたテーブルと椅子が、数寄屋の精神を現代のロビーに伝える。
- 1582頃待庵(妙喜庵)。2畳の茶室建造年には諸説
- 1615頃桂離宮の造営が始まる
- 1663頃桂離宮 新御殿
- 1959村野藤吾、佳水園を設計1960年に営業開始
- 1962ホテルオークラ東京 本館(谷口吉郎)
- 2020佳水園が改修を終えて再開業
泊まって、数寄屋を見る
数寄屋の部屋に入ったら、まず柱の角を見てほしい。角が丸いか、四角いか。次に、壁の上に長押があるかどうか。それから、座って視線を下げてみる。低い軒の先に庭が切り取られ、立っていたときとは景色の大きさが変わるはずだ。数寄屋は、座ったときの目の高さで設計されている。
この技法が見られるホテル
- 佳水園(ウェスティン都ホテル京都)(京都・1959年・村野藤吾):幾重にも重なる、低く薄い銅板葺きの屋根
参考にした資料
- デジタル大辞泉・世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書「数寄屋造」「待庵」「桂離宮」「吉田五十八」(コトバンク)
- JAANUS(日本建築・美術用語辞典)「面皮柱」「床柱」「落掛」「下地窓」「竿縁天井」「長押」「入母屋造」「勾配」
- 菊葉文化協会「桂離宮」
- architecturephoto(2020年6月3日)/中村拓志&NAP建築設計事務所「佳水園」/大林組 施工実績
- The Okura Tokyo 開業時の報道(Time Out Tokyo、2019年)


